2006年3月19日

サヨナラおうち


IMG_sayonaraie0001.JPG今まで住んでいた家に、最後の確認に行く。

何もなくなったがらんどうの家を、キャーキャーと、くるくると、走り回るふたりの子どもたち。走り過ぎてすっ転ぶ。「うぇーーーん、いたいよぉー!!!」と大泣き。まったく、確認している間もない。ましてや感傷に浸る間もない。でも、こういう元気な子どもが欲しいと思ったのはかあちゃんだ。怒っても怒りきれない。いつものこと。

「もう、このおうちに来ないの?」「このおうちはどうなるの?」「誰が住むの?」と、アトムが急に真面目な顔で聞く。もうここには入れなくなるんだよ。この家は、いつもお菓子や本をくれたおばさんのおうちだからね。

鍵をかける。
「もう、入れないの?」と聞くアトム。
もう入れなくなるんだよ。

絶叫して、大泣きするアトム。新しいおうちを楽しみにしていたのに、今まで住んでいた家とのお別れはとても悲しいことのよう。泣く、泣く、泣く。おんおん泣く。
また、いつでも、このおうちが見たくなったら、かあちゃん、連れてきてあげるよ、約束するよ。

かあちゃんの心の中にいつまでも残っている自分のおうちは、5才の時まで住んでいた家だった。
サザエさんの家を少し小さくしたような感じ。木戸の門を入り、玄関をガラガラと開けて玄関土間から廊下に上がると、左に小さな和室、続いてまた小さめの和室と広めの和室。右手にはお風呂場、台所…。日当たりのいい縁側があって、芝生の広い庭があった。縁側でよくごはんを食べた。大きな桜の木が1本。裏庭には、3畳くらいあったかと思う犬小屋。いつも犬が遊び相手だった。そうだ、庭にはブランコもあった。
あの家にいたときが、一番幸せだったと思う。

アトムが産まれ、ウランが産まれ、あの一番幸せだった場所がどうしても見たくなった。でも、子どもをふたり連れていてはなかなか見に行けない場所だった。だけど、かなりの苦労をして、ついに、その場所へ去年、子どもたちを連れて、行った。

当然、その場所に、もうその家はなかった。庭もなかった。桜の木もなかった。
少し離れた場所にあった桜の木、これがあの私の庭から移植されたものであって欲しいと思った。
木の幹がふたまたに…そう、ちょうどこのへんで分かれていた木で、またがってよく遊んだんだ…この木、似ているだけなのかな? あの木なのかな。よく分からなかった。

家とも庭とも犬ともお別れになった。あのとき、悲しかった。
かあちゃんも、少しアトムの気持ちがわかるよ。

この画像は、その、子どものころに住んでいた家のあった場所に去年行ったときに撮ったもの。少し離れた場所に移植されたのかもしれない、満開の桜の木。
あの家を離れてからも、あの家を忘れてしまっていた間も、毎年毎年、この木は花を咲かせていたのか。この木だけが、かあちゃんの子どもの頃を知っているのか。今年も、かあちゃんの知らない間に、桜の花は咲くのか。

これは、かあちゃんにとって、この世で一番悲しい風景だ。


IMG_sakura0001.JPG


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コメント[2]

とても素敵な御家族ですね。
こんな気持ちを持ち続けたいですね。

昔、車を買い換えたときのことを思い出してしまいました。
新しい車にはしゃぐ私に、幼稚園児の娘は「いつもの子はどうしたの?お父さんが一番仲良しのお友達だったんじゃないの?いつも一緒にいたのに悲しくないの?」
いつも車で出かけて、車で帰ってくる私を、娘は自分よりも仲良しの大切なお友達だと思っていたようです。「私がずっとお友達でいてあげる!」車はなくなってしまったけど、スペアキーは娘の宝物になりました。

東京町家さん、ありがとうございます。
素晴らしいお嬢さんですね。

東京町家さんの、素敵なお父様の一面を垣間見るようで、こちらがはにかんでしまいます。

そうですよね、クルマも…。当時その家にありました。子どもゴコロにおぼろげながら、スバルか何かの小さな白いクルマで、特別な感情で見ていたのを思い出しました。時代が時代でしたから、クルマは宝物だったのでしょう。

クルマがお友達になったら、いいですね。いつからクルマは見栄を張るための道具になってしまったのでしょうか。

きっと、お嬢様は、素敵な女性に成長されることでしょうね。

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