家は本当に生きているのかもしれない。
エアコンが壊れた。台所の蛍光灯が切れた。トイレの温水洗浄が壊れた。脱衣所の電球が切れた。洗面所の蛍光灯も切れた。ここ2週間ほどの間で起きたこと。
いま住んでいる古い借家は、宮大工がつくったという家。隣に住む大家さんの持ち物。
この家の電気製品が、この短い間に、ことごとく使えなくなった。
脱衣所の電球なんて、この間換えたばかりなのに、もう切れるなんて、オカシイ。
私たちが、もうこの家を出て行くから、「行くな」と、家が言っているのかな。
それとも、「早く行きなさい」と言っているのかな。
それとも、別れを惜しんでいるのかな。
不思議だね。いくつもの住家を引越ししたけれど、そこを離れる前って、必ずこんな風に電気製品が使えなくなっていく気がする。
もう、この家ともお別れ、この家の持ち主の大家さんの一家ともお別れ。
大家というと、インケンでアサマシイというのがありがちだけれど、ここの大家さんは違った。子どもたちに服をいっぱいくれたり、オモチャや絵本やお菓子もいろいろくれたり。元気いっぱいのウチの子どもたちを、「元気でいいね」と、ひとことも文句も言わずにニコニコといつも暖かく見守ってくれていた大家さん一家。ウランが産まれるときなんて、「クルマを出してあげる」「上の子を預かってあげる」と声をかけてくれたり、お祝いもくださったりした大家さん一家。
よく晴れた暖かな日。
子どもたちに、ちょっといい目の服を着せて、大家さん一家にお別れの挨拶に行きます。
少し寂しいけれど、そんなに遠くに引越すわけじゃない、また、いつでも会える。
子どもたちと手をつないで、大家さんのお宅の玄関に立ちます。
お別れは、笑顔で。晴れやかに。
さぁ子どもたち、にっこり笑って、いつものように、
「こんにちはー!」。
そこで私たちは知らされます。
この日の朝、大家さん一家のご主人が、
亡くなったことを。
この家を建てた大家さん一家のご主人。
この家は、私たちに「行くな」と言っていたんじゃない。「早く行きなさい」と言っていたんじゃない。ましてや、別れを惜しんでなんかいたんじゃない。
この家は…
この家は、
自分を建てた人との永遠の別れの時を知って、泣いていたんだ。
[この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます]
- ワックス塗って また塗って 元気に陽気に バタンキュー[10]
- パンダがいっぱい[4]
- ちいさな家から見えるもの[2]
- そして家はキャンバスになった[2]
- お風呂用「桧のすのこ」[1]



コメント[2]
家には魂がある
私はそう思っています。
考えてみると
座敷ワラシ とか
節分の鬼 とか
家にまつわるそうゆうものは、家の魂の現れなのかもしれまませんね・・
古い物や受継がれてきたモノを大切にする、ということは、モノの魂を感じる感性を育てることなのかもしれませえん。
もののけ・・・
ものの気(気配/気持/・・)
まぁ、そんなこと、他の人に言っても、本当には理解してもらえない事だけど。
いよいよ引越しなんですね
Posted by しだ at 2006年3月14日 09:14 | 返信
しださん、コメントをありがとうございます。
ほんとに、家には魂が宿るような気が、私もしました。
「木の精霊」とか木に宿るものをいろいろと言いますけれども、生命のある木でつくられて、宮大工さんの手でも魂が込められて、代々数々の人が住んできた家だから、計り知れないなにかが宿っているようなものを、なんというか、体で感じました。
もともと、この古い家には、何かがいるように感じていました。もののけを見たとかいうわけではないのですけれど、いつも誰かがいるような気がしていました。理屈では説明できないような、人智を超えたような感覚です。
Posted by jun at 2006年3月14日 22:20 | 返信
コメントする